2016.10.22-23 福島67便(視察研修4号/浪江町)報告

■視察研修の概要

 

(01)活動日:2016年10月22(土)~23日(日)

(02)天気:晴れ 

(03)バススタッフ:渡辺、東

(04)活動スタッフ:長崎 

(05)参加者数:18人(女性:7人、男性:11人) 

(06)現地往復:小型観光バス、No:207、運転手:橋爪さん、大西さん 

(07)現地移動:同上 

(08)宿泊場所:岳温泉(ヘルシーパルあだたら) 

(09)視察場所:浪江町本庁舎~浪江町内~二本松庁舎~復興公営住宅~陶芸の杜おおぼり

(10)研修内容:浪江町職員の説明で町内視察、浪江町民との交流、復興公営住宅視察など

(11)活動者数:kfop18人(他に浪江町職員・浪江町町民) 

(12)立寄箇所:二本松市内の復興公営住宅 

(13)特記事項:大堀相馬焼窯元で皿など絵付けした後、相馬焼を各自で購入した。

 

■視察研修の内容

 

10月22日(土)午前11時40分、避難指示解除準備区域にある浪江町役場に到着し、副町長の説明を受けた後、避難生活支援係長も同乗して浪江町の市街と請戸地区を視察した。

 

浪江町は平成23年3月11日、東日本大震災の発災により震度6強の地震と高さ15mを超える津波により全壊家屋651戸(地震による倒壊65戸、津波による流失586戸)の被害を受け、死者182名の被害が発生した。津波による浸水面積は港湾・水産加工場などが集中していた海岸部の6㎢におよび、約1000事業所が被災した。さらに、東京電力㈱福島第一原子力発電所の事故により、浪江町は町内全域が避難対象地域になり、7,671世帯21,434名が福島県内外に避難した。このうち、県内避難者は約70%、14,500名、県外45都道府県に避難した者は約30%、6,400名である。

 

浪江町は223.1㎢の面積のうち、年間空間放射線量50mSv以上の帰還困難区域が81%を占め、20~50mSvの居住制限区域が10%、避難指示解除準備区域が9%となっている。町役場がある避難指示解除準備区域については除染の進捗に伴い、平成29年3月に避難解除指定を、4月からは町民の一部帰還を目指すとしている。帰還を希望する町民は「帰りたい。しかし、働く事業所や食料・生活用品を購入する商店、医療機関などがないと帰還できない」と考え、商店・医療機関などの事業者サイドは「帰還・出店したくても、住民がいなければ経営が成り立たない」と考える。このため町民の帰還に向けての浪江町のイニシアティブで、町役場に隣接して仮設商店街が10月27日に開業とのことであったが、仮設商店街のテナントも帰還予定の商店ではないという。また、町役場の隣に建設中の医療センターは医師や看護師などのスタッフの確保が難航していて、現役をリタイヤしたシニア従事者を確保したいとしていた。

 

津波よる死者182名(内、行方不明31名)の被害を受けた請戸地区では、旧防潮堤を2mかさ上げした高さ7.2mの防潮堤が建設中で、請戸漁港および荷捌き場など関連施設の再建工事も進行中であった。

 

巨大な廃棄物減容化処理施設が市街地や漁業関連施設のがれきを焼却稼働中で、近くにはがれきを仮置きする大きなヤードが複数あった。また、民家の土台コンクリートが各所で掘り起こされていた。

 

海岸から600mの地点にあった請戸小学校は、震災発生時学校に残っていた2年生以上の児童全員が1㎞程離れた大平山まで走って逃れて助かった。津波の被災跡が生々しく残る校舎は震災遺構として保存するか否か検討中とのことであった。犠牲者の眠る町営大平墓園の奧山を越えた地点に、浪江町では住宅団地と工業団地を造成することとしている。高瀬川を越えて旧市街地に戻ると事情が異なって来た。

 

帰還後の対策として、浪江町では元の老健ホームの建物の一時休憩施設へ再利用、雇用促進住宅改修による町営賃貸住宅80戸の確保、地域スポーツセンター、浪江東中学校の小・中学校統合化などの準備をしている。

 

避難指示解除準備区域では、川添地区などの除染と除染後の宅地管理が切実な課題となっている。10月現在、宅地の除染は80%以上、農地の除染は50%が終了しているが、住民が帰還しなければ宅地も農地も2~3年で草木が茂る除染前の状態に戻ってしまう。

 

常磐線は平成29年3月に仙台~浪江間が開通する予定で、浪江駅を視察したのち、浪江町中心街を視察した。老朽建物は倒壊したり破損したままで残されているが、浪江町中心街は歓楽街としての面影を残していて、浪江町の経済力と周囲の町村への求心力を物語っていると思われた。官公庁やホテルなどコンクリート建物は見た目には被害は少なく、容易に利用可能なものと思われる。中心部のホテルなみえは現在も昼間の浴場利用は可能であり、4月以降の帰還に備えて事前に行う準備帰還の際の宿舎として使うということである。

 

114号線の検問所を通り、帰還困難区域の津島地区に入ると、除染も行われていない沿道の田畑はヤナギなどが生い茂り、荒廃していた。宮口副町長は「ここはすべて水田だったところです」と、繰り返して説明した。道路両側に繁茂する草木の伐採も年間に3回程度実施しなければならないが、その財政負担も大きいという。旧道沿いにある集落も草木に飲み込まれるようにしてひっそりと残されていた。

 

冬は凍結して危険という峠道を経て、浪江町民1,715名が避難している二本松市平石の高田第二工業団地の一角にある浪江町役場二本松事務所を訪問した。平成23年3月12日、福島原発(1F)の事故のため政府の緊急避難指示により、全町民21,434名が20㎞圏外に道路渋滞の中避難した。

 

浪江町民は福島市・いわき市・郡山市・二本松市・南相馬市など県内30市町村に14,482名が、茨城県・東京都・宮城県・神奈川県などの都道府県に6,376名が、仮設住宅あるいは借上げ住宅に分散して避難することとなり、町役場も4回移動し、避難者の多い市には支所も開設した。浪江町民のサポートの困難さ帰還と町の復興の難しさを痛感した。

 

 

■その他の活動

 

視察終了後、浪江町の大堀地区から二本松市内の工業団地の一角に避難している大堀相馬焼の陶工たちの窯元を訪れて見学し、記念に参加者全員が皿や湯飲みなどに絵付けして焼いてもらった。また、浪江町あるいは福島県の地場産業の復興・復活を願って、各窯元で焼いた相馬焼の大小さまざまな作品を展示館で見て、それぞれに購入していた。

 

■参加者アンケート

()内が有効回答数です。

 

(1)参加のきっかけ

A(11)福島でお手伝いしたかった 

B(00)街中掃除をしたかった 

C(10)日程や工程がよかった 

D(00)知人・友人に誘われたから 

E(04)その他

 

(2)情報提供

A(18)ちょうどよかった 

B(00)少なすぎた 

C(00)多すぎた 

 

(3)活動内容

A(11)非常に満足

B(06)満足

C(00)不満

D(00)非常に不満

 

(4)活動時間について

A(14)今回と同じが良い

B(01)定時(16時)まで活動

C(00)その他

 

(5)今後もkfopのボランティア活動に参加しようと思いますか

A(18)参加したい 

・福島は他県と比べ、原発の影響で復興が遅れているため、少しでも貢献したい。

B(00)参加したくない 

 

(6)今回の活動について感想・意見・伝えたいこと(自由に)

・特になし

 

(7) kfopの今後の活動に期待すること、ご自由にお書きください。

・特になし

 

(8)アンケート回答者の属性

性別:女性(07) 男性(11)

年代:20代(00) 30代(01) 40代(03) 50代(09) 60代(03) 70代(02)

職業:会社員(09) 自営(01) パート(01) 家事(01) フリー(01) 定年後フリー(02) その他(01)

経験:初めて(00) 2-3回(00) 4-5回(01) 6-9回(03) 10回以上(11)

 

《浪江町の皆様に感謝》

 

ご多用中にもかかわらず、この度の視察・研修に親切・丁寧にご準備くださり、ご対応いただいたすべての皆様に、篤く御礼申し上げます。実際に現地を訪れて話を伺うことで初めて感じられることもあり、貴重な機会となりました。

 

また詳細な最新の資料をご用意いただき、復興へ向けての実情と課題について理解を深めることができました。これらの資料は、今後の活動に際して何が必要なのか考えていく良い資料になると思います。ありがとうございました。


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