2012.09.22 福島6便(南相馬2号)報告


《活動の写真について》

被災された方々の心情に配慮し、参加者による活動中の写真撮影は原則として禁止としています。

ただしホームページでの活動報告に限り、現地の状況を知っていただき、関心を持ち続けていただくことを目的として、ご依頼主のご了解のもとで撮影、掲載させていただいています。


南相馬市生活復興ボランティアセンター(社協ボラセン)での活動です。

 

先月末から募集を開始し、沢山の方からの応募があり、6便は小型バス2台計44人の参加となりました。私達の小さな団体でも、堅実に継続すれば福島を応援して下さる多くの方に繋がるんだ、と感じさせられた便でした。

 

9月22日(土)、南相馬市生活復興ボランティアセンターの受付には、各地から約200人近いボランティアが集まり、9時からマッチングが始まり各々依頼者宅に向かいました。

ご依頼のお宅は今年の4月17日に避難地区解除になった所、小高地区。海からは数キロですが家の後ろに川があり、津波は川を昇って来て家に襲いかかり、また前からも直接津波が襲ってきたと聞きました。

 

一年半以上の経過、家の周りは草が生い茂っていました、草刈りから始まり、続いて家具、傷んだ畳、泥をかぶった食器、テレビ等の運び出し、庭を厚く覆う土砂を取り除く作業。短い時間ではありましたが、全部ではありませんが綺麗にすることが出来ました。

 

活動前
活動前
活動後
活動後

津波を受けた家はそのままで、いずれは解体すると聞きました、ご依頼を受けたことの全部が出来た訳ではありませんでした、東京の杉並区社協の皆さんと総勢67名での作業でした。

 

ご近所の方も様子を見に訪れていました。以前は37件の集落ですが、戻る意向の人は7件とのお話し。

 

帰路は、飯館村さんを経由、一時帰宅はできるものの人影は無い、草が生い茂り、田畑は背丈程のすすきが生い茂る。川俣町、普通の町、スーパーがあり、学校があり人が暮らす、田んぼ一面に頭を垂れた稲穂は秋の収穫を待つ。

 

隣り合わせの村・町、誰かが見えない線を引くのでしょう。まだまだ続く現実がそこにあります。

 

遠くはなれた?近い神奈川から出来るお手伝いです、自分ができる事をできる範囲で応援・お手伝いこれからも継続できたらと思います。

 

最後に全員でご挨拶をさせて頂きました。

 

私達はご依頼を受けましたことの全部は出来ませんでした。しかし、ご依頼宅のご主人「完璧です、ありがとうございます」と言葉を頂きました。すみません、良いことか、そうでないことなのかはわかりません、ただ、ご近所の方も、私の所も、と広がることを願っています。

 

初めて福島を訪ねた参加者も多くいました、中型バスで行きたかったのですが、バスをお出し頂けるだけで感謝です、中型バスは私達にはまだまだ高値の花で運行出来ませんが、一人でも二人でも、ほんの少しずつでもご参加頂ける方に継続を頂き、福島を知って頂く、福島の応援に繋がる、そのため続ければと想っています。

 

参加の皆さん、バス会社さん、現地「南相馬市生活復興ボランティアセンター」の皆さん、現地の皆さん「ありがとうございました。」

 

2012.9.22 李

 

 

(追伸)個人でも活動されている方の想いを伝えます。

 

私は平日に活動することが多いこともあり、チームの人数は多いときでも20名程度です。少ないときは10人以下です。今回は集団の力の大きさを見せつけられた気がします。南相馬では活動中に他のボランティアを見かけることはまずありません。だだっ広い荒れ地で、活動しているのはいつも自分たち数人だけです。それが悔しいです。

 

立ち入り禁止が解除される前、住人の方達は今の私よりももっとずっと大きな寂しさ、悔しさを味わっていたと思います。

 

kfopさんのように、ボランティアが団体で来てくださることは、南相馬の方達だけでなく、活動している他のボランティアの元気や希望にもつながると思います。

 

(代記:代表 渡辺)